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kiki picasso

キキ・ピカソ(本名 クリスチャン・シャピロン)は、
時計で有名なスウォッチのデザインでも有名です。
彼が手掛けるスウォッチは、世界で一番入手困難なものと言われています。

洗練されたグラフィックデザインは、
モダンで斬新、色彩が豊かで、目でも、体でも楽しめるアートになっています。

そんな彼は、生粋な芸術一家に生まれます。
父は写真家、母はモデルと言ったいわばサラブレット。
しかし、彼は、芸術家になるつもりはさらさらなかったそうなのです。

高校も16歳で中退し、将来に何も希望が持てずブラブラしているときに、
職業診断テストを受けたところ、建具屋もしくは、デザイナーと診断され、
フランスの芸術家養成学校である「エコール・デ・ボザール」に入学します。

今までは、芸術的なことを何一つしたことがなかったキキ・ピカソですが、
幼少の頃から芸術一家で育ったので、アトリエが遊び場だった事がラッキーの始まり。
そこで自然と芸術的感覚が養われていたのでしょう、ここからメキメキと本領発揮です。

在学中に2グループに分かれてクロッキーやデッサンをしていた仲間と、
「バズーカ・プロダクション」というイラスト誌を自費出版します。
技術的に駆使してしまうと自費出版のため金銭的に苦しくなってしまうため、
基本的に2色刷りの冊子で作成されました。

イラストの作風も、当時1970年代の風刺をほんのりテイストに織り交ぜたものや、
サイケデリックなもの、ピンクフロイトなどのロックをテーマにした、
イラストを タブーを交えて作成しました。し

かし、75年に惜しくも廃刊してしまいます。
やはり、自費出版の壁は大きかったようです。

しかし、ここでバズーカ・プロダクションの活動は終わりません。

その次の年からは、新聞や雑誌向けのイラストを作成し始めます。
月刊誌「ハラキリ」日刊紙「リベラシオン」が代表する雑誌です。

彼らの絵は、基本的に風刺をきかせた物が多く、
中でも過激なイラストに対しては「犯罪や性的暴力を擁護する」と
訴訟を起こされながらも作成に没頭しました。

その背景には、「月刊誌ハラキリ」創刊者のショロン氏の粋な計らいがあり、
どんな事があっても自由に仕事をさせてくれたところにありました。

「リベラシオン」は日刊紙なので、仕事的にはハードなものでしたが、
社長がいない出版社だったので、編集やデザインも全て対等な状態で、
編集側とデザイン側でレイアウトの戦いを繰り広げながらも協力しながら
制作していました。

しかし、日刊紙ともなると採算が取れなくなり、
わずか半年で休刊となってしまいました。

ここで、バズーカ・プロダクションの活動は最後となってしまいます。

   
 
   
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